漫画家 松本零士さん生誕80歳記念 宇宙を夢見た少年が歩んだ80年の軌跡を振り返る|自分だけの生き方!~自分だけの生き方を謳歌する賢者への岩崎せいじ取材対談コーナー~-不動産賃貸経営博士-

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漫画家 松本零士さん生誕80歳記念 宇宙を夢見た少年が歩んだ80年の軌跡を振り返る|自分だけの生き方!~自分だけの生き方を謳歌する賢者への岩崎せいじ取材対談コーナー~
自分だけの生き方!
~自分だけの生き方を謳歌する賢者への取材対談コーナー~
松本零士さん
生誕80歳記念
宇宙を夢見た少年が歩んだ
80年軌跡を振り返る
漫画家  松本零士さん -生誕80歳記念-漫画家  松本零士さん -生誕80歳記念-
日本を代表する漫画家であり、今年80歳(傘寿)を迎えた松本零士氏に、博士.com代表創業者の岩崎せいじが取材対談。戦争を体験した少年期、戦後の高度経済成長期を経て現代に至るまでの日本、世界を漫画家として、一人の人間としてどのように捉えてきたのか。現代(いま)を生きる人たちに伝えたいことなどを伺いました。

陸軍パイロットの父の背中を追いかけて宇宙に想いを馳せた松本零士少年

――松本先生は戦時中のお生まれですが、どのような子供時代を過ごされましたか?

「私は福岡県の久留米市で生まれ、昭和19年に母の実家がある大洲市新谷へ疎開し、兵庫県明石市で数年、終戦後は小倉で子供時代を過ごしました」
『松本零士』という人生を辿る旅路は、1938年の福岡県の久留米市を始発駅にゆっくりと走り出した。

「父は陸軍パイロットで、兵庫県の明石市で新型戦闘機のテストパイロットもしていました。子供の頃はパイロットをしていた父に戦闘機の操縦の話を聞いては、大人になったら父のように大空を飛行機で駆けるんだと夢見ていました」

――先生の描かれる作品の多くが『宇宙』をテーマにしているのは、その子供の頃に思い描いた空への憧れが影響していますか?

「そうですね。空を駆け回りたいという想いが、次第に宇宙へと広がっていきました。また、私の作品には色々なところで私の家族や生き方が映し出されています」
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「特に、長年軍人として、日本人として強くあり続けた父『松本 強』に『日本の侍』のイメージを強く受けていました。なので、宇宙戦艦ヤマトに登場する沖田十三は、私の父をイメージして描いています。名前は私が好きだった新選組の沖田総司と当時SF作家として有名だった海野十三からいただきました。他にも、宇宙戦艦ヤマトの古代進は私の弟の『松本 將(すすむ)』から名前をとっています」

――そうだったんですか!? では、他のキャラクターにもそういった逸話があったりするんですか?

「モデルじゃないですが、ハーロックは私の子供の頃の掛け声から生まれた名前なんですよ」

――掛け声?

「子供の頃に住んでいた家の前に鹿児島本線が走っていまして、色んなタイプの汽車が来るんで、毎日眺めてたんですよ。で、汽車が通る時って大きな音と風圧で周りの音が聞こえなくなるじゃないですか。だから汽車の隣を歩きながら通る度に『ハーロック、ハーロック』って掛け声を上げていたんですよ。それがキャプテンハーロックの名前の由来になっています」

――ちなみに、ハーロックってどういう意味なんですか?

「子供の頃の掛け声に、意味なんてありませんよ。私にも訳が分かりませんから(笑)」

――たしかに、そうかもしれませんね(笑) 子供の頃ってそういう何でもないことが無性に楽しかったりしすよね。

「そうですね。ただ戦時中は私たちが住んでいたところもアメリカ軍の標的になり、放射砲を打つわ、空中戦はあるわ、機銃掃射で空から銃弾が降ってくるわでえらい目に遭いました」

――まさに戦時中ですね。

「そんな日々の中でも子供って不思議なもんでいろんな遊びを見つけるんですよね。機銃掃射されて田んぼなんかに埋まってる不発弾をみんなで掘り出して山分けにするんですよ。で、それを手で握って破裂させるっていう遊びがあったんです」

――不発弾を破裂させる!? そんなことしたら怪我じゃすまないですよ!
「そうですね。でも、子供って好奇心で楽しそうなことは何でもやっちゃうんですよ。だから当時はそうやって破裂させて亡くなった子供が随分いました」

「戦争で何かが狂っていたんでしょうね。今にして思うと当時は至るところで今では考えられないようなことが日常的にありました」

「小倉に住んでいる時の話なんですが、当時私は小学生で学校の理科室の隣が連れ込み宿だったんですよ。覗けば、窓から宿の中が見えるくらいの距離でした。ある日僕が宿を覗くとアメリカ兵が女性と営んでいるわけですよ」
――子供には刺激の強い光景ですね(笑)

「見られているアメリカ兵は平気で笑って手を振るんですよ。それからしばらくして、私が裸足で野球をしていて球を追いかけて走っていたら何か生暖かいものを踏んづけたんですよ。なんだと思います?」

――犬の糞ですか?(笑)

「アメリカ人の尻です(笑)彼らは真昼間から野外で女性と励んでいたんですよ。戦中戦後というのはそういった怪奇とも言える光景がそこかしこにありました」

「戦後、戦争で夫や家族を失った女性たちは食うのに困って、それでも生きていくために、残された家族を養うためにアメリカ軍に『春』を売っていました」

「はじめはそれを小ばかにして笑う者もいましたが、徐々に徐々に状況がわかってくると、誰も彼女たちの悪口は言わなくなりました」

「誰もが生きていくために精一杯だった時代、それが戦後であり、怪奇的な日常として映されたんでしょう。我々は、そんな戦中・戦後がどんなものかを生身で知っている世代なんですよ」
「でも、そんな時代の中でも『面白いこと』は結構ありました。」

「当時10セントコミックというのがありまして、アメリカ兵がそれを読んではその辺に捨てていったんですよ。今でも有名なスーパーマンやスパイダーマン、バッドマン、ディズニーなんかです。」

「それを拾い集めて5円、10円くらいで売っていたおばちゃんがいまして。私も随分おばちゃんから漫画を買って子供の頃に読んでいました」
「ちなみに、先日アメリカのオークションにその頃の漫画が出品されて日本円で1億4000万円くらいで落札されたんですよ。それを聞くと、その頃に買ったのを今でも持ってないかなぁなんて思っちゃいますよ。さすがにこの山の中を探す気にはならないですが(笑)」
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5歳の松本零士少年と15歳の手塚治虫青年が出会った昭和18年 運命の映画
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5歳の松本零士少年と15歳の手塚治虫青年が出会った昭和18年 運命の映画
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― 松本零士さん生誕80歳記念 ― 宇宙を夢見た少年が歩んだ80年の軌跡を振り返る - 漫画家 松本零士さん -
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