北軽井沢スウィートグラス創業からの軌跡
1951年群馬県北軽井沢生まれ。北軽井沢にあるオートキャンプ場“スウィートグラス"は、全国アウトドア誌の人気キャンプ場ランキング過去6年で4回一位に輝く、日本一のキャンプ場。北軽井沢ならではのフィールドとライフスタイルの提案が都市生活者の共感を呼び、来場者は右肩上がりに増加してきた。また、自然共生型アウトドアパーク、薪ストーブと薪の製造販売など次々と新しい事業を生み出している。
北軽井沢スウィートグラスにて代表の福嶋さん、創業期から一緒にキャンプ場を作ってきたツリーハウスビルダーの稲垣さんと焚火を囲って対談取材しました。
「冬はタヌキとキツネしかいなくなるんだから北軽井沢に人を呼べるアイデアを考えろと、都会から帰って来たんだからなんかアイデアあるだろ?」と知り合いに言われ(笑)


当時、まだ地元に帰ってきて間もなく地域に早く馴染みたい気持ちもありましたし、炎の祭りで浅間山の斜面にキャンドルで絵を描こうと考え、その時に稲垣さんの絵心を頼りました。
そこで稲垣さんはキャンドルを並べる本数で光の強弱を作り影まで表現する、誰にもできない技法を編み出し非凡な才能を発揮するんですね。
当時は365日のうち179日を稲垣さんとタッグを組んで地域イベントのボランティアしていました。
ボランティアだから給料もない、お金もなかったし、「男のロマンは女のガマン」と奥さんにも怒られるし、食べていかないといけないし、キャンプ場の仕事を一緒にやるようになりました。
今と違って冬になるとキャンプ場は暇になるので、ログキャビンを建ててキャンプ場を拡大していきました。


まだスウィートグラスも全然メジャーではなく、キャンプブームも去ってキャンパーなんてどこにいったという感じだったんですが、 日本一のキャンプ場を目指そう!と人気のキャンプ場へ視察に行ったりスタッフ全員のモチベーションも高く、徐々にキャンプ場も形になってお客さんの反応が変わっていくのを感じられるようになりました。
稲垣さんはランドスケープデザイン能力が一品で、絵描きなので自分の頭の中で絵を描いてそこに溶け込む建物を作る力はキャンプ場を作るのにとても役にたちました、スウィートグラスは稲垣さんが作りあげたともいえます。
世の中にまっすぐなものは一つもない 曲がっているけど調和がとれていると稲垣さんは言う。


曲がってねじ切れてるもの同士をくっつける事は稲垣さんにしかできない、熟練の宮大工でも真似ができないと降参します。
絵を元に空間に立体を起こしていく、一緒にやってきてびっくりする事ばかりで私も勉強させてもらいました。
こういうイメージですと出してくる絵と全く同じものができる、絵を描いた時点で完成なんです。その信頼感は絶大なものがあります。
ルオム(自然に従う生き方)を会社理念としてビジネス展開を考えています。
縁があって地元の二度上山を取得しました。東京ドーム50個分の約240ヘクタールある広大な山林は
樹木の85%が広葉樹であるナラの木の山林です。
そこで自伐林業に着手しました、自分たちで木を切り薪を作ります。今でも1日軽トラで3杯分の薪を売っていまして、真冬はもっと増えます。


その山は伐採しても150年分あり杉などの針葉樹と違い広葉樹は伐採してもまた5、60年すると生えてきます。薪以外にも家具や建材など広葉樹の幅広い活用を目指します。
また、スウィートグラスから派生して焚火をコンセプトに個と集団の集いの場TAKIVIVAを作っています。
全国に300か所くらい展開していきたいと思っています。
独自の考えとやり方を貫きとおしてきた北軽井沢スウィートグラスは2019年で25周年になります。
今では年間10万人が宿泊するキャンプ場になりましたが、最近になってキャンプ場って何かがようやく分かったんです。
キャンプってとても忙しく終わるんです、水を汲んで持ってきて火を起こして料理をつくって、全然リラクゼーションの時間なんてないじゃないですか。
スウィートグラスは家族連れのリピーターで予約のほとんど埋まるんですね、お客様は何を求めてリピートしてくれるのかスタッフ全員で考えたんです。
だんだん分かってきたのは、世の中の家族のほとんどはパサパサに乾燥して冷え切っているんです、いくらうちは違うといっても子供や奥さんは個々に生きているんです。
でもキャンプ場に来ると、とりあえず家族の形が成り立つんですね、それを絶えず確認できる場所がキャンプ場なのです。
家族再生産業という事にキャンプ場の本質がある、それが25年やって最近皆で確認できた答えです。















