サイエンスプロデューサー『米村でんじろう先生』取材対談|ブーメランや実験でおなじみの先生のテレビとは違う素顔 ― 科学を通じた『実体験の大切さ』を子供たちに伝えたい|自分だけの生き方!~自分だけの生き方を謳歌する賢者への岩崎せいじ取材対談コーナー~-不動産賃貸経営博士-

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サイエンスプロデューサー『米村でんじろう先生』取材対談|ブーメランや実験でおなじみの先生のテレビとは違う素顔 ― 科学を通じた『実体験の大切さ』を子供たちに伝えたい|自分だけの生き方!~自分だけの生き方を謳歌する賢者への岩崎せいじ取材対談コーナー~
自分だけの生き方!
~自分だけの生き方を謳歌する賢者への取材対談コーナー~
自然と遊び、科学を楽しみ、科学を通じた『実体験の大切さ』を伝えるサイエンスプロデューサー
米村でんじろう先生
サイエンスプロデューサー 米村でんじろう先生サイエンスプロデューサー 米村でんじろう先生
日本全国で『サイエンスショー』や『実験教室』を開催し、子供たちに勉強としての『科学』だけではない、科学の持つ『面白さ・楽しさ』を知ってもらい、興味・関心を持つことで初めてわかる『学びの楽しさ』を教えるサイエンスプロデューサー『米村でんじろう』さんに、博士.com代表創業者の岩崎せいじが取材対談。高校教師時代を経て、これまでにはなかったサイエンスプロデューサーという新たな職業の開拓、その過程における試行錯誤、これからの時代の中で子どもたちに伝えたいこと、そして、AIなどの最新テクノロジーについての考えなどを伺いました。

魚釣りや竹とんぼ、パチンコを自分で作って遊んだ米村でんじろう少年期~轆轤(ろくろ)や石斧を工作した高校時代~

――早速ですが、全国各地でサイエンスショーなどの活動をされているでんじろう先生が、現在の『サイエンスプロデューサー』になろうと思ったきっかけは何だったんですか?

今のように『科学の実験』を中心とした仕事をしたいと思い始めたのはだいたい24年くらい前でしょうか。その頃、僕は都立高校の教師をやっていて、40歳を前にして学校の先生を続けていくかどうかを迷っていた時期でした。
――今でも子供たちに対して『科学の楽しさ』を広めている先生にとって、教員はぴったりの職業のように思えますが。

いやー、僕は『学校の先生』には向いていませんでした(笑) 僕が最初に赴任した高校の時にも、その後に赴任した高校でも、合わせて8年間教師をやって、僕は向いていないなと実感したんです。

何しろ僕は、実験は好きですけど、勉強が好きなわけでも特別できたわけでもないですからね。 むしろ学生時代は『落ちこぼれ』でしたから(笑)

――今の先生のイメージからは想像もできませんね。

皆さんがお持ちの『米村でんじろう』のイメージはメディアを通して見た僕のイメージだと思いますよ。本当の僕は結構ルーズだし、いい加減なところもありますよ。加えて昔は少しエキセントリックなところが目立ったかもしれませんね。歳を重ねると共に『変わったところ』も少しは成りを潜めましたが。
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テレビやディスプレイを通して見てきた『でんじろう先生』が、屈託のない笑顔でこれまでの自分のことを話し始めると、メディアを通さない『米村 傳治郎』としての素顔が少しずつ見えてくる。
――ちなみに、そのエキセントリックな頃というのは、高校教師をされていた頃のお話ですか?

そうですね。僕が高校教師をやっていた頃は、とにかく生徒たちに『科学に興味を持ってもらいたい』と思い、夢中になって色々な実験を考えて、調べてきては、学校で生徒たちを前にやっていました。いつしか僕自身が夢中になり過ぎて周りが見えずに『やらかしてしまった』こともありましたが……。

子供の頃から何かを自分で『作ったり・試したり』することが好きだったんですよね。僕が生まれた千葉県市原市は子供の頃(昭和30年頃)はまだ田畑や里山があって、生活も今のような現代的なものではなかったんですよ。日曜日は母親と薪取りに行って、お爺さんが炭を使って釜戸でご飯を炊いたりしていました。
子供の遊びも自然の中で、魚釣りや動物を捕まえたり、竹とんぼやパチンコ、豆鉄砲なんかを『自分たちで作って遊ぶ』ようなものばかりでした。

――あぁ、わかりますよ。私も魚釣りや虫取りとか子供の頃によくやりましたよ。

中学校に上がる頃には僕の周りの生活も一変しましたけどね。『高度経済成長期』の日本は本当に激変していきました。プロパンガスが普及すると、ガスコンロにマッチ一本で火が付くので、薪を使わなくなり、もっと便利なガス炊飯器が登場すれば、お米を研いでスイッチ入れておけばご飯が炊けちゃうんですから。公共水道が通り、ガスが配備され、続いてテレビや冷蔵庫などの家電製品が登場して、毎年のように新しいものが次々と出てきました。小学生の頃には大八車とか、馬で車を引いていたのに、中学生になる頃にはあっという間に現代的な生活に様変わりしました。

車を日常的に見かけるようになったのもこの頃ですね。車が手に入り、すぐ街に出られるようになるにしたがい、学校も統合されていき、村ごとに分かれていた中学校など5、6校が1か所に統合され、古い木造の校舎は新しい3階建ての鉄筋コンクリート造の校舎に変わりました。

だからその頃の中学校は荒れに荒れていましたよね、もういろんな学校の人が混ぜこぜだから(笑)先生も体罰なんか当たり前で、すぐビンタしていましたけど。
――私たちが子供の頃ってそうでしたよね。でんじろう先生もビンタされたんですか?

もちろんされましたよー、僕はだらしなかったですからね。不良ではなかったですが、学校はあまり好きじゃなかったんです。田舎の末っ子で、人見知りはするし、学校には「集団の圧力(プレッシャー)」みたいなものを感じていましたし。それでも小学校よりは中学校の方が教科ごとに先生が変わるので、干渉が緩くなって少しは気が楽でしたけどね。

――ちなみに、でんじろう先生はもうその頃から科学が好きだったんですか?

中学生の頃にはもう興味を持っていましたね。学校に科学クラブがあってそれに入っていたんですが、もともと活動はメチャクチャ不活発で、先生も指導する気はなかったですし、自分で実験の本を読んで、必要な薬品や器具を揃えて自由に実験遊びをしていました。
中学校2年生くらいまでは科学も楽しくやれていたのですが、3年生になってからは受験指導ばかりで実験などもほとんどなくなり、その頃から科学の授業があまり好きではなくなってしまって。 でも、科学そのものは好きで、その後も本を読んでは、実験などを繰り返していました。

ただ、高校に入ってからは、授業がつまらないから勉強はしないなんてことは言っていられず……。赤点を取れば親を呼び出されてしまうので、その頃から少しずつ試験対策としての勉強もするようになりました(笑)
――どんどんテレビで見る『でんじろう先生』のイメージとはかけ離れていきますねー。高校でも科学クラブで実験三昧の毎日でしたか?

高校には科学クラブがなくて結局、帰宅部になりました。家に帰って犬を連れて野山を駆け回ったり、山菜を採ったり、工作をしたりしていました。テレビで陶芸のシーンを見てやってみたいなーと思って、ろくろを作ったりとか。

――陶芸がやりたくてわざわざ ろくろ から作り始める人はなかなかいませんよ(笑)

いや、ろくろって結構高いし高校生には買えないじゃないですか。だったら自分で作ってしまおうと。丁度オートバイの壊れたのがあったから、その車輪で手ろくろを作りました。ろくろが出来たので、今度は粘土を作るために本を読みながら地層を調べて、粘土に向いている土を探して自分で粘土も用意して、その土で茶碗とか壺とかを作っていました。石斧なんかもテレビで見てどんなものかと試しに作ってみたら意外と切れるってことが良くわかりましたよ。
――帰宅部で帰宅してからそんなに色んなことやっている人、初めて見ましたよ。しかし、ここまでのお話だと教師になりそうな感じが全然しないんですが……。
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米村でんじろう先生が大学を出て高校の教師を志したきっかけは『自由学園の自給自足の教育』と『大学ゼミのワンボード マイコン』
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米村でんじろう先生が大学を出て高校の教師を志したきっかけは『自由学園の自給自足の教育』と『大学ゼミのワンボード マイコン』
自然と遊び、科学を楽しみ、科学を通じた『実体験の大切さ』を伝える - サイエンスプロデューサー 米村でんじろう先生 -
今のように『科学の実験』を中心とした仕事をしたいと思い始めたのはだいたい24年くらい前でしょうか。その頃、僕は都立高校の教師をやっていて……
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