でんじろう先生の教師時代の『実験 授業』生徒の興味・関心を惹くコツ/学年集会で炎を噴き出し米村でんじろう先生が炎上した?!|自分だけの生き方!~自分だけの生き方を謳歌する賢者への岩崎せいじ取材対談コーナー~-不動産賃貸経営博士-

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でんじろう先生の教師時代の『実験 授業』生徒の興味・関心を惹くコツ/学年集会で炎を噴き出し米村でんじろう先生が炎上した?!|自分だけの生き方!~自分だけの生き方を謳歌する賢者への岩崎せいじ取材対談コーナー~
自分だけの生き方!
~自分だけの生き方を謳歌する賢者への取材対談コーナー~
自然と遊び、科学を楽しみ、科学を通じた『実体験の大切さ』を伝えるサイエンスプロデューサー
米村でんじろう先生
サイエンスプロデューサー 米村でんじろう先生サイエンスプロデューサー 米村でんじろう先生
日本全国で『サイエンスショー』や『実験教室』を開催し、子供たちに勉強としての『科学』だけではない、科学の持つ『面白さ・楽しさ』を知ってもらい、興味・関心を持つことで初めてわかる『学びの楽しさ』を教えるサイエンスプロデューサー『米村でんじろう』さんに、博士.com代表創業者の岩崎せいじが取材対談。高校教師時代を経て、これまでにはなかったサイエンスプロデューサーという新たな職業の開拓、その過程における試行錯誤、これからの時代の中で子どもたちに伝えたいこと、そして、AIなどの最新テクノロジーについての考えなどを伺いました。

教師時代、生徒の興味・関心を惹く『実験授業』の始まり/学年集会で炎を噴き出しでんじろう先生が大炎上?!

僕は最初に赴任した高校で教師として『いい授業』をしようとやる気になっていました。「生徒たちが目を爛々と輝かせて、食いついてくるような授業をやろう!」「授業が終われば質問をするために生徒たちが僕の周りに集まってくる」そんなことをイメージしていました。

でも、いざ教壇に立って授業をしてみれば、生徒たちは全く授業を聞かず、人が集まることもなく、さらには授業中に平気で教室を出ていく子までいるという、僕の考えていた理想の授業像とはかけ離れた現実が目の前にありました。

授業は思うようにいかず、生徒指導は問題多発という最初から困難な状況で始まった最初の教師生活ですが、生徒や教員の間は意外と和気あいあいとしていました。 生徒の中にも僕のいる物理室によく遊びに来る子が出てきて、主に学校に来ない子や馴染めない子でしたが。僕が学校を休んだりすると「先生さぁ、そんなに学校休むと休み癖がつくからちゃんと来ないとだめだよ」なんて説教するんですよ、休みがちな生徒が(笑)
授業についても進める中で、生徒たちが自分たちの生活している『環境』というものに興味がないことに気がつきました。授業中に教室に蝶が一匹入ってきただけで男子も女子も大騒ぎなんですよ。でも、『そのもの』についてよく知らない=『得体が知れないもの』ってたしかに怖いのかもしれないって。 彼らは関心がないから、植物は草も花も全部「草」、虫は全部「虫」、そしてそのほとんどを『汚い』と思っているんです。

そんな状況で植物の光合成なんて学んでも頭に入ってくるわけがないんですよ。授業で使う教科書に入る以前に、生徒たちはだいたいそんなものに興味なんて全くないんですから。そのまま無理やり口に突っ込んでも絶対消化しないし、ましてや飲み込みもしないでしょう。
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だからまず、興味を持たせることから始めようと学校に行く途中で植物採集をして、職員室の休職中の先生の机にフラスコを置いていろんな花を飾ったり、生徒が毛虫を嫌うから、イチョウの木にいた毛虫をとってきて、各教室分のカゴのに入れて渡して育てさせたりしました。今考えると人によってはすごい嫌がらせにしか感じないかもしれませんが、当時の僕は虫が幼虫からサナギを経て蝶になる過程をみたら、きっと生徒たちは感動するだろうな、とそんなことだけを思ってやっていました。

そんな風にこれをやったら生徒たちは喜ぶんじゃないかな、授業に関心を持つんじゃないかな、ということを夢中になって探しては実行していました。

その中で、春を食べよう!という企画授業をやって、自分で採ってきた野草を食べてみようというのをやってみたんです。ビニール袋を持たせて、野草を取りに行かせて、2時間目の時間に採ってきた野草をビーカーで茹でて食べるんです。

――――面白そうですねー!

えぇ、この授業は生徒たちの反応がとてもよかったんです。採取して観察するだけだとあまり面白みを感じてくれないんですが、食べるとなるとちょっと真剣になるんですよね。だって、「これ、食べられるの?」っていう素朴な疑問があるものを実際に食べてみるんですから。味噌や醤油、鰹節なんかを用意して、生徒が味をみて、その野草の名前と味を記録していくんです。
生徒たちには割とウケていたので、しばらくそんな授業をやったり、秋にはドングリを食べてみたり。当初の目的だった生徒に興味を持ってもらうという点では成功だったと思います。 でも、本来の授業の流れとは重なってはいきませんでした。他にも実験を色々やってみましたが授業の流れとはなかなか繋がりませんでしたね。

それでも普通に授業をやるよりはいいだろうと思い、そこからは今の仕事に繋がるような実験などを次々と考えて、授業の中でやり始めました。

生徒に興味を持たせるために授業の前に実験を見せたり、やらせてみたり。そんなことを試みるようになってからは、授業そのものはなかなか上手くいきませんでしたが、『つかみ』の部分は割と上手くいくようになっていきました。
やっているうちに、自分も遣り甲斐があるから盛んにやりましたよね。そうするとどんどん実験にのめり込んでいって、いろんな実験を考えては、調べてきて、やりたい、やりたいと思って周りが見えなくなるくらい夢中になっていました。

――――そんなに夢中になってのめり込めるってなかなかできることじゃないですよね。

でも、その頃の僕は生徒が授業に興味を持てるようにするためにやっていた『つかみ』をやること自体が楽しくなっていて、もっともっとウケが欲しいと思うようになっていたのか、最悪なことをやり始めたんですよね。今思い返しても、若気の至りというか、調子に乗っていたというか。

――――何をしたんですか?

口から火を噴きました。(※)たいまつの炎を使って口からブワァーって。
※口から火を噴く行為は非常に危険な行為の為、絶対に真似しないでください。
――そんなこと簡単にできるんですか!?

プロのように大きな炎は出ませんが、素人がやってもそれなりに炎が出るんですよ。そして、授業中にやるとそれがまたすごいウケるんです。

ただ、実験としてはそんなに意味があるわけでもなく、無理に意味をつければ燃焼の実験だとかつけられるんですけど、やはり実験としてのたいした意味はないんですよ。

でも、その頃の僕はとにかく生徒のウケが欲しかったので生徒の前で「火を噴くぞ!」などと言って、やって見せた後に目を丸くしてびっくりする生徒を見て「やった!」と思うわけですよ。 さらに何を思ったのか、夏休み前の学年集会で生徒だけでなく、学年の先生たちがいる前なのに火噴きセットを持ってきて口から火を噴いて見せるわけですよ。
――えぇ!?そんなところでも火を噴いちゃったんですか!?

さらに最悪なことに噴いたつもりが失敗して、僕の服に燃え移って、僕は燃えているし、怒って出て行っちゃう先生もいるし、見ている人たちは凍りついてるし。今思い返してもすごい雰囲気でしたよね、今でも忘れませんよ。

――それ、大丈夫だったんですか?(笑)

僕自身は燃えたといってもたいしたことはなかったんですが、さすがの僕も翌日学校に行くのには戦々恐々としていました。でも、実際に学校に行ってみれば、誰もその話に触れないし、学校の中ではもうなかったことのようになっていました(笑)

僕の教師史上、最大の痛手だった事件でした。それ以来、生涯火を噴くことだけはやめようと誓い、未だにそれは破っていないです。まぁ、その必要もないですけどね。 その後も実験自体は続けたんですけど、だんだんと慎重にやるようにはなりました。
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でんじろう先生、NHKの実験テレビ番組『やってみようなんでも実験』への企画協力としての参加/ドキュメンタリー番組への出演を経て米村でんじろう先生は教師からフリーへ転向
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でんじろう先生、NHKの実験テレビ番組『やってみようなんでも実験』への企画協力としての参加/ドキュメンタリー番組への出演を経て米村でんじろう先生は教師からフリーへ転向
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