でんじろう先生、ジャニーズのKinKi Kids(キンキキッズ)との共演、『世界一受けたい授業』『笑っていいとも!』などの民放番組へ『米村でんじろう』として出演|自分だけの生き方!~自分だけの生き方を謳歌する賢者への岩崎せいじ取材対談コーナー~-不動産賃貸経営博士-

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でんじろう先生、ジャニーズのKinKi Kids(キンキキッズ)との共演、『世界一受けたい授業』『笑っていいとも!』などの民放番組へ『米村でんじろう』として出演|自分だけの生き方!~自分だけの生き方を謳歌する賢者への岩崎せいじ取材対談コーナー~
自分だけの生き方!
~自分だけの生き方を謳歌する賢者への取材対談コーナー~
自然と遊び、科学を楽しみ、科学を通じた『実体験の大切さ』を伝えるサイエンスプロデューサー
米村でんじろう先生
サイエンスプロデューサー 米村でんじろう先生サイエンスプロデューサー 米村でんじろう先生
日本全国で『サイエンスショー』や『実験教室』を開催し、子供たちに勉強としての『科学』だけではない、科学の持つ『面白さ・楽しさ』を知ってもらい、興味・関心を持つことで初めてわかる『学びの楽しさ』を教えるサイエンスプロデューサー『米村でんじろう』さんに、博士.com代表創業者の岩崎せいじが取材対談。高校教師時代を経て、これまでにはなかったサイエンスプロデューサーという新たな職業の開拓、その過程における試行錯誤、これからの時代の中で子どもたちに伝えたいこと、そして、AIなどの最新テクノロジーについての考えなどを伺いました。

サイエンスプロデューサー米村でんじろうとしての新たなスタート/ジャニーズのKinKi Kidsとの共演、『世界一受けたい授業』『笑っていいとも!』などの民放番組への出演

辞めたらその後どうなるかも正直わからなかったですけど、先ほどのドキュメンタリー番組が結果的に結構好評だったようで、問い合わせがいっぱい来るようになり、『やってみようなんでも実験』も続いていたので、そちらも今まで通り企画のブレーンとして続けられることになりました。その他、学研などの教材メーカーからのお話があったりと、『人の繋がりから』少しずつ仕事がもらえるようになっていきました。

――これまでの話に出てきた先生の活動が人脈として築かれていき、実ってきたわけですね。

そうですね。教師を辞めた僕の仕事の中心は『やってみようなんでも実験』になりました。 30分番組を毎週やるので、その頃は毎週企画に追われていました(笑)
――番組企画はすべて自分で考えるんですか?

いえ、さすがにそこまでではないですが、ディレクターが10人ほどいるんですけど、科学専門じゃないのであまりアイディアが出てこないんですよ。なので、プロデューサーが企画会議で最終的に困ると僕に振るんです。結局、再来月の30分番組4~5本の分の企画をその日のうちに出すことになりました。NHKに提案しないと制作会社も動けないですからね。

もっと先にやれよって思うかもしれないですけど、忙しいからそんなことも言っていられなくて、いつもギリギリになるんですよね。今日、明日っていう段階で話が来て、今日中に5本の企画を出してって言われるんです(笑)
お昼から企画会議が始まって、次々とディレクターが指名されては、プロデューサーに「つまらんなー」なんて言われてなかなか5本決まらないんですよ。その間も僕も必死に考えますよね。なにしろ僕の立場はそういう時のためのブレーンなわけですから。

だから僕も思いつくままに、とにかくベラベラ喋るわけですよ。結論から言えば、そのプロデューサーを納得させさえすればいいので、できない実験だろうが、何でもいいから面白そうなことをとにかく話しました。企画ってこういうものなんだっていうことがよくわかりましたよ。
「考えておきます」「企画書を出します」っていうのは通用しないんです。その場でこの人のイメージを広げさせて「あ、面白そうだな」って言わせるっていうことが大切なんです。何しろ、その場で流れもどんどん変わっていっちゃうから、事前準備も何もないですよね(笑)

――でも、それって10年間の教師時代に生徒たちを楽しませようと実験を考え続けてきた賜物じゃないですか!
そうなんです。それまで蓄え続けてきた知識と経験をもとに、あれこれ繋ぎ合わせてネタ出しをして、とにかく面白そうに企画を話して、なんとか4本~5本にまとめて、それでやっと帰れるわけですよ。終わらないと23時でも24時でも帰れないですからね(笑)

――番組作りですからねー。そこはテレビも雑誌もWEBもメディアはみんな同じですね。

企画が決まれば、2週間に1回ずつの2本撮りを始めていきます。30分で、しかも実験番組の2本撮りはなかなか大変でした。ロケもありますしね。朝9時から準備して、夜21時、22時、遅ければ23時までかかって、スタジオで生放送に向けた実験テストがうまくいかないと当然やり直しになりますし。

――生放送の番組だったんですか?
ロケの部分は収録なんですけど、スタジオでやる実験は生放送、ライブなんです。その場でうまくいかないと止まっちゃうので、プロデューサーも怒鳴りまくって、特に初期の頃はうまくいかないことが多かったですねー。

でも、しょうがないですよね。会社の面子がかかってますから、それだけ必死なんですよ。小さいプロダクションにとって30分番組を毎週1本持つっていうことは、ほぼ会社の命綱ですからね。 プロデューサー兼社長も必至だから、すごい雰囲気の中でのスタートした番組でしたけど、だんだんそれも軌道には乗っていきました。

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僕自身もその頃の生活の主体はその番組でした。経済的な面でも、力を注ぐ割合としても。

また、僕も少しは番組に出たりもしていたので、実験を見せて欲しいとか、話を聞かせて欲しいとか講演依頼も来るようになってきて、民法からも番組出演の話がチラホラ来るようになっていました。

一番有名なのが、ジャニーズ事務所のKinKi Kidsの堂本光一くん、剛くんが高校生の頃、日曜日にやっていた日本テレビさんの『それいけキンキ大放送』という番組でした。

番組の中に『マメマン(マメ星人)』のコーナーというのがありまして、二人がマメの被り物をして、地球の科学を学ぶためにやってきたという設定で現れて、僕がそのコーナーの博士役だったんですよね。こんな形で民法の番組に出るのも僕も初めての体験でした(笑)
でも、この番組は現場ではカメリハ(カメラリハーサル)なんかもやらないんですよ、素のリアクションが欲しいから、なんて言って。KinKi Kidsの二人も忙しいから、二人が来たら即収録でカメラ回して、出たとこ勝負のアクシデントだらけで。

でもそれがすごい臨場感があって、番組的にはすごく好評でしたよね。たしか有明アリーナで3000人くらい集めて公開収録なんかもしたんですよね。でも、番組自体は急に終わりましたけどね(笑)

その番組もそうですが、フリーになってからは『仕事が終わる寂しさ』を色々と痛感しましたね。

――先生がフリーでやっていけるかもと思ったのはいつぐらいですか?

例のNHKのドキュメンタリー番組や『やってみようなんでも実験』があったので、多少収入源はあったんですよ。そう思って辞めたわけじゃないんですが。とはいえ、それもいつまで続くかわからないですからね。
その証拠に、たしかNHK内で『やってみようなんでも実験』が終わるっていう話が持ち上がったことがありまして、僕にとっては命綱ですから大変でしたよ。プロデューサーが急に僕に「来年番組危ないかもしれない」なんて言ってきて。まぁ、その危機も何とか乗り越えて、番組はその後6年くらい続いたんですけどね。

その番組を僕のメインの仕事として、他に民法の番組に出たり、収入としてよりも自分の経験と認知度を上げるために色々なところで講演やイベントの依頼を受けたり、企業からもイベントをやるので定期的に実験教室をやってくださいなんて話もありました。

そういう風にNHKの番組制作の協力から少しずつ、他からの仕事の依頼も入ってくるようになり、それをこなしていきました。
先ほどの話じゃないですけど、番組はなんていつ終わるかわからないですから1本だけじゃ危ないですし、企業のイベントも7年ほど続きましたが、それも終わりましたからね。 しょうがない話ですが、終わらないものはないんですよ、きっと。

そういう仕事が終わってしまって、まずいなーって時期が来て、でもそこからまた少し仕事が来てということを繰り返しながら、繋がりができていって、というのがフリーになって最初の10年くらいの話です。

独立して10年後に日本テレビさんの『世界一受けたい授業』とかフジテレビさんのタモリさんの『笑っていいとも!』などから声がかかるようになりまして、特に『世界一受けたい授業』はコンスタントに出演するようになり、その辺から広く世間に出るようになって、それまでは知っている人は知っている程度だった知名度が、割と世間でも知られるようになり、イベント依頼なども随分増えました。

イベントには人員が必要になるため、本格的に会社としても人を確保して、アシスタントを5~6人程入れて、だんだん今の形に近くなっていきました。

――でんじろう先生が今のアシスタントさんたちを従えて活動しはじめてどれくらい経ちますか?

そうですねぇ、今のメンバーに落ち着いてから10年くらいになりますかね。

先ほどの民放番組へ出演したことによって、認知度が高まり、番組の出演依頼が増え、イベントや講演の依頼も増え、それからコンスタントに『サイエンスショー』として全国の会館を周る巡業の形が出来上がってきて、今のスタイルが10年くらい前に確立しました。それからはずっとそのペースでやっています。

今は僕を入れて10人のスタッフが中心となってやっています。科学をテーマにした小さな劇団と言ったところでしょうか。



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【経歴紹介】
1955年(昭和30年)に生まれ、都立高校の教師として教壇に立つ中で、自身の考える『科学』との向き合い方と現代教育の在り方の間で試行錯誤を繰り返し、40歳になる年を機に教職を辞め、それまで夢中になって考えてきた『実験』を主体とした活動『サイエンスプロデューサー』へと転身する。その後、テレビの実験番組や講演・イベントなどを通して『科学の楽しさ』を伝える活動を精力的に行い、1998年に「米村でんじろうサイエンスプロダクション」を立ち上げる。現在はテレビ番組への出演や子供向けの科学の本の出版、アシスタントと共に『サイエンスショー』を全国各地で行い、子供たちに科学を通して実際に体験することの楽しさを広めている。
【インタビューアー】
株式会社GSGホールディングス/代表取締役 岩崎せいじ
株式会社博士.com 代表創業者
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株式会社GSGホールディングス
代表取締役 岩崎せいじ
株式会社博士.com 代表創業者
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でんじろう先生、NHKの実験テレビ番組『やってみようなんでも実験』への企画協力としての参加/ドキュメンタリー番組への出演を経て米村でんじろう先生は教師からフリーへ転向
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でんじろう先生、NHKの実験テレビ番組『やってみようなんでも実験』への企画協力としての参加/ドキュメンタリー番組への出演を経て米村でんじろう先生は教師からフリーへ転向
自然と遊び、科学を楽しみ、科学を通じた『実体験の大切さ』を伝える - サイエンスプロデューサー 米村でんじろう先生 -
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