給与所得の源泉税徴収制度に対して思う、『納税の義務』 独立・起業を考えた時の合理的な判断・行動とは?~結果としての節税あれこれ~|Hisashi

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給与所得の源泉税徴収制度に対して思う、『納税の義務』 独立・起業を考えた時の合理的な判断・行動とは?~結果としての節税あれこれ~

給与所得の源泉税徴収制度に対して思う、『納税の義務』 独立・起業を考えた時の合理的な判断・行動とは?~結果としての節税あれこれ~

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大家 Hisashi

職域年金受給1年前となり、やっと「少しはラクになるかな」と、一息吐いています。サラリーマン大家→個人事業主→会社設立と、書けば順調に見えるものの、「いつもカツカツ」で生きてきた気がします。これまでの経験を、節税面から振り返ってみようと思います。

 今回のタイトルは、実は第<14>回で、
> しかし、「できる」ということと「しなければならない」という
> ことはイコールではありません。
というフレーズで使っています。この時は、個人事業で固定資産税を期内(12月)までに払うか、第4期分を敢えて次期( 1月以降)に送るかの選択肢がありますよ、という可愛い話題でした。
 が、このフレーズには、もう少し考えてみるべき、深刻で、時に過激な意味が潜んでいます。

<28> 「できる」は、「しなければならない」?

 初めにお報せです。
 第<20>回で触れた新生銀行の「2週間満期外貨預金」ですが、10.12(2018)から利率が0.8%→1.0%と改定されました。1,043$のまま放っておいても、税引き後利息が27¢→32¢と上昇しますが、預入額を変えて33¢にすることもできます。
 追記をしておきましたので、興味のある方は第<20>回をご覧下さい。

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 給与所得の源泉税徴収制度というのは、
 「あ、これだけ収入があるのね。じゃこの税率を払うだけの担税力はありますね(つまり「できる」ということ)。」
と勝手に決められ、まあ、10歩譲ってそこまではいいとしても、
 「じゃあ、勤務先の経理担当者を通じて徴税もしといてあげるね。」
に至っては、収入の全容を肝腎の勤労者本人の手には一瞬たりとも触れさせずに「かっさらっていく」と言うに等しい、言語道断の、実に無礼な、いや無礼を通り越して「アコギな徴税システム」とすら言えます。

 この極めて理不尽な制度がまかり通っているのは、年末調整制度で所得納税が完結し、地方税は自動的に居住自治体に回されて、これまた賦課税制度で処理され、納税者が殆ど痛税感を麻痺させられているからと言えるでしょう。

 「収入がある=担税力がある=払える筈(できるの認定)=払わなければならない(国民の三大義務)」

という図式は、一見「なるほど」とは思うものの、よくよく眺めると、ひとつひとつがすべからくお上から与えられた官製項目であることに気付きます。

 第<25><26>回で、2017年末の税制大綱を話題にしましたが、税制なんて(「なんて」と書くと、現場の当事者には失礼かも知れませんが)コロコロ変わるわけです。
 1999年に導入された20%の定率減税というのがありましたが、「恒久的減税」と言われながら、あえなく2007年で廃止となりました。な~にが「恒久」かと思います。ユークリッドやピタゴラス以来の数学の公理や定理ほどに普遍(不変)性を保証して、初めて「恒久」という言葉を使って欲しいものです。
 政治・財政の世界の人たちにとっては、10年未満でも「恒久的」と使うんですね。呆れたものですが、恐らくお得意の、

・恒久「的」と恒久は違うから

ということなんでしょう。5棟10室未満でも一般事業とセットで届ければ事業主、勤め人は億単位の物件を持っていても事業「的」規模、みたいなもんです。(第<04><05>回)

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 ここでちょっと税の話から離れて、「できる」と「しなければならない」の関係を考えてみましょう。

 私たちは一般に、「わかったこと・できること」は「使えるようにしましょう・実務に生かしましょう」という流れをあまり疑問にしません。
 幼少の頃から、
 「“作る”という漢字は習ったでしょ?  粘土でゾウを“つくった”でなくて、“作った”と書きなさい。」
 「3+3+3+3じゃないでしょ?  3×4=12(サンシジュウニ)でしょ。」
などと訓練されます。
 ところが、長ずるに従い、「造る」も習えば「創る」も習う。熟語に至っては、「造作」「創造」「創作」と組み合わさる。で、
 「書くわけでもないし、モノを形にするわけでもないし、良い人間関係を“つくる”は、敢えてひらがなに開いて表記したらどうか?  そうすれば、取り敢えず“作る”とか、新たな連帯を“創る”とか、ニュアンスを包含できるんじゃないか。」
なんて話題に至っては、「結局どう使い分けるの?  なんか基準とかあるの?」ということになっていきます。

 つまり、そのときどきで変わるわけです。その変わりようが、コロコロかどうかは別として、恐らく徴税側の論理は、
 「国民の三大義務なんだから、とにかく取ることに関しては刑事罰を科してでも課税します。ただ、その率や額は情況に応じて変えます。足りなきゃ増税するし、貧困層は昔の「農民は生かさず殺さず」と同じで死なない程度の税負担、国や自治体に納税してくれそうな大企業には税制優遇もしようじゃありませんか。所詮この世は持ちつ持たれつなんでですから。」
というスタンスでしょうかね。

 だったら、私たち市民も、
 「国民の三大義務なんだから、脱税はしません。でも徴税側が通達や規則を茶飯事に変えるのだったら、納税側もあれこれ工夫して節税していい筈。」
と考えます。ただ、上述で、

> お上から与えられた官製項目

と書きましたが、この納税義務も元々が「与えられた(為政者側が設定した)もの」であることは、頭のどこかに認識しておく必要があります。

 かけ算九九や漢字を最低限使いこなすことは、公立・私立を問わず日本では初等教育の必須事項で、お蔭で世界的にも文盲率が少なく、学校に行けない子供もまずいない、文化的な知的水準の高い国民性の基盤が整備されています。
 税金が公教育に投入され、そうした知的水準の底上がりした国民が形成されていることは、見方によっては世界に誇る成果と言えます。

 では、何事につけても、すべての学びの基本は「読み書きそろばん」は納得するとして、だから税金を投入する、ゆえに納税せよ、という理屈も理解できますが、「どこまで」という程度の問題はどうなるのか?

 今や国民的キャラクターとも言える「島耕作」の連載初期に、大町久美子が配属されてきて、ある日残業を手伝って貰う。思いの外早く終わったので「飯でも?」となり、大町が珠算1級の腕前であることを知る。島が「そんなこと人事調書に書いてなかったぞ」と言うと、
 「あ、書いたら経理に回される確率が高くなるけど、私はもっと違う仕事をしてみたいと思ったから書かなかった」
と大町が答える場面がありました。

 筆者は「なるほど」と思ったのでよく覚えているのですが、ある技能なり能力なりが引き出され「使い物になる」にあたって、誰のお蔭で(もっと露骨に言えば資格取得費用はどこが出してくれて)その域まで到達できたのか?  といことが重要なのだなと。
 保険会社の社員が、FPの資格を取り、クライアントのライフプランやマネープランを設計提案する、なんて場面は普通にありますが、そのFPの資格を会社の費用で取らせて貰ったのなら、当然業務に生かしなさい、ということになります。

 では、親のお金で取った珠算1級は、就職に積極的にアピールするべきか?  第<26>回に書いたように、子どもの習い事は、必ずしも本人自身が望んで関わったものばかりではありません。
 「親の言うままにそろばん塾に通った。そこそこ向いていたらしく、進級を重ねた。成績も悪くない。でも、母親が子育てに時間が取れないがゆえの託児の側面もあったらしく、本人はいつもどこかに寂しさを抱えていた。できるはできるが、将来ずっとこの道を生かしていきたい、とまでは思わない。」
 そういう子だっているかも知れません。

 筆者は、勤め人時代、後輩となる採用候補者の試験監督とか、面接の際の事務作業などに、何回か従事したことがあります。2000~2005年頃、面接の調書には盛んに「ワード、エクセルができます」と書き込んでありました。今や、ちょっとした事務職ではそれも当然になっているのでしょうが、自分から意識して就職活動を有利に運ぶためにそうしたアピールをすることは何ら差し支えないことです。
 しかし、親に言われて、仕方なく(とは言い切れないかも知れませんが)学んで、たまたま珠算1級の腕前まで身に付けたとしても、それが子ども時代の一抹の寂しさといつもセットになって記憶に焼き付けられているとすれば、何も就職有利だけの合理性でアピールする必要はないと思います。
 (昨今の正社員か非正規かといったレベルで考えると、もったいない気もしないではありませんが。)

 なんだか、あちこちと言い訳めいたことを書いているような気もしないではありませんが、「できるからしなければならない」という必然性は、必ずしも合理的な判断・行動とは限らない、ということは言えるのではないでしょうか。

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 では、今回のコラムの後半は、もう少し数字を使ったスッキリした話題を。

 筆者が早期退職した頃の現職時代の税込年収は約890万円(第<18>回)。その後税率や社会保険料率が変わっていますが、便宜上そのまま固定で60歳定年を迎えたとしましょう。
 嘱託員の時代を算入すると給与体系が複数になり煩雑になるので、野に下った56~57歳(設立法人の影響が未だない頃)の実績と比べてみます。

・早期退職当時の給与収入部分
 年収(税込)   8,925,000  (給与所得控除後の所得 6,832,500)
 所得税           663,000
 厚生年金        633,000
 健康保険料     316,000  (含介護保険)
 住民税           354,000
 差引手残り   6,804,000
 借入返済      1,474,000  (実需分、元金+利息)
 諸経費           413,000  (実需住宅管理費、固定資産税等)
 実際のCF   4,917,000

・個人事業分56~57歳の頃(1年辺りの平均値)
 年収(家賃)   9,311,000  (経費差引前)
 所得            6,227,000  (経費となるローン利息も差引後)
 所得税                      0
 国民年金         165,000
 国民健康保険   106,000  (含介護保険)
 住民税               8,000
 手残り         5,948,000
 借入返済      1,782,000  (当時返済していた元金部分1年分)
 実際のCF   4,166,000

 個人事業になってからは、若干の雑収入などもありましたが、不動産賃貸経営部分のみで集計しています。物件の増減、空室期間などがありますが、すべてを均しての平均1年辺りの数字です。費用の方も、募集費用、現状回復費、等の例月でない変動費的なものも発生していますが、それらも含めて掛かった経費を1年辺りで出しています。なお、端数は千円単位に丸めています。
 個人事業の所得税がなぜゼロになるかというと、ここに揚げたのは不動産賃貸部分だけであり、実際にはこの他に「個人事業/一般」の経費がさらに差し引かれるからです。小規模共済とか交通費・通信費とか、研修・図書費、OA関連費などの経費を積み上げ、実際には200万円前後の課税所得になります。基礎控除(38万)と青色控除(65万)の103万円を見据え、後は日々「これは経費になるか?」で所得税5%、可能な限りゼロを目指します。

 お気付きと思いますが、900万円の給与収入があっても、源泉徴収制度に任せたままだと、所得税、社会保険、住民税で1,966,000万円が吹き飛びます。一方同じ900万円程度の家賃収入は、各種経費を差し引くと課税所得段階で既に給与所得より50~60万円低くなり、さらに一般事業として「事務所を構えれば誰が見たって必要な経費」としてのコピー機やパソコンの費用が経費計上できるわけですから、上記の例で言えば、

 1,966,000円 - 279,000円 = 1,687,000円

を借入返済に振り向けても、日々の収支上は勤め人時代と同じわけです。第<18>回で述べましたが、

> 「一番負担になるのが実は税金」だという結論に辿り着き

> それだったら、その190万をローンの返済に置き換え、税金や社会保 険料を切り詰めた方が
> 実利があるのではないか。

と書いた実践例が正に上述の筆者56~57歳の頃の考え方です。

 では、こうしたそろばんを弾いて、「ん、大丈夫だろう」と思って独立・起業を考えたとしても、家族の存在を考えると、
 「健康上のトラブルに陥ったとき、有給の病気休暇がある方が……」
 「雇用保険があるから……」
 「退職金や年金制度を考えたら……」
などと尻込みしてしまうのが人間というものです。
 つまり、十分な資金前途(即ち「できる」)が見込めても、安全性を考えて踏み留まる(つまり「しなければならない」には敢えて触らずにおく)、その選択の自由が保証された世の中に私たちは生きています。

 そうして考えると、各種の節税の工夫を施して、まさに権利とも言えるレベルで申告納税に臨む方が自然な気がしますし、選択肢が与えられている点で「民主的」と思います。
 「煩わしい納税手続きは、職場の事務さんにやって貰えるよう手配しといてあげたから、勤務先の分業に従って職務に専念してね。」
というのが、徴税側の論理(配慮)なのでしょうが、

 財政難→増税→文句を言わずに払え

というのは、「それって酷く(非道く)ないですか?」と言いたくなるのは筆者だけでしょうか。

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 もう一つは、納税は義務なのか、という話です。
 既に上述で、

> 納税義務も元々が「与えられた(為政者側が設定した)もの」である

と書きましたが、世界には納税を国民の義務としている国はどれくらいあるのでしょうか?  このコラムは憲法論議でも「国民の義務」国際比較論でもありませんので、詳しいデータは読者ご自身でお調べ頂きたいのですが、

・イギリスは不文憲法
・アメリカやフランスには「国民の義務」規定がない

なんて書き始めると、俄然「じゃあ、納税は?」となりますよね。
 日本を筆頭に、韓国や中国、ロシア、イタリアなどいくつかの国が挙がってきますが、「国民の権利、国家の義務」という観点から近代憲法を捉えようとする論調が多く、そもそも国民の義務とは何事か! とその前時代性が話題の焦点となります。
 アメリカでは、国家の「権限」として徴税があり、日本の国税などよりはるかに強権の「泣く子も黙る歳入庁(IRS)」の存在が知られていますが、基本はあくまで「申告」納税です。

 第<26>回のお遊び時代劇の箇所で、

> 平安時代の荘園制の頃から

と書きましたが、遊牧民(つまり人頭税にならざるを得ない)の存在しない日本、蒙古襲来も神風が吹いて異国の支配に怯えることのなかった我が国では、平安どころか弥生時代に農耕が始まってからこの方、権力者や為政者が我が物顔で傍若無人に振る舞う「体質」ができ上がり、そのことに徴税側も納税側も、疑問を覚えることもなく染まってしまっているのかも知れません。

 源泉徴収税制度という、資金調達側のリスクが限りなく少ない制度をシステムとして強要しながら、お粗末極まりない国民年金しか支給されない現状を鑑みるに、収入がある(納税できる筈である)のなら文句を言わずに払え(しなければならない)という図式を、異を唱えることすら気付かず「はい、そうですか」と受け容れることは、お人好しの上に「おめでたい」を冠むってしまいそうな気がするのですが、どうお思いになりますか?

公開日:2018年10月15日

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